9/22 (書評)マイケル・ドリス「朝の少女」
- 作者: マイケルドリス,Michael Dorris,灰谷健次郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1996/12
- メディア: 文庫
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facebookに書評を投稿してたが、読む人を気にしてしまい、書評するのが億劫だったのでブログに移転する。
今回はマイケル・ドリス著「朝の少女」という小説。
ジャンルは児童文学であるが、大人であっても充分に飽きずに最後まで読める。
「朝の少女」というタイトル通り主人公は少女であるが、本作は少女の弟である「星の子」も主人公である。年齢は不詳であるが8~13,14歳頃と予想する。
児童文学をよく読む人であれば見覚えがあるテーマである、「自我の確立」と「子供が大人社会に入り込む苦闘」が描かれている(本作には他のテーマも含まれている)。
この二つのテーマは別に珍しいものではないが、本作の特徴は主人公が現代でいうところの裸族のような原始的民族というところにある。
例えば「自我の確立」というテーマの場合、原始的文化のため鏡というものがないため自分自身が何者なのか確かめる手段がなく、「朝の少女」は自分の存在に不安を抱く。
「朝の少女」がぶつける「あたしの顔のこと、教えて」という質問に対して、父親と母親の中に朝の少女が存在するということを実に美しい方法で教える。
現代は自我に対して疑問を持つ以前に自分自身が唯一無二の存在だと客観的な手法で刷り込ませている節があるため、ある意味で真の自我を納得して受け入れている人は少ないのかもしれない。
高度に文明が進んだ社会であれ、この小説の舞台である原始民族の社会であれ、子供が人間として成長していく過程はさほど変わらないが、高度に文明が進んだ社会は人間を労働力として優秀なモノにすることを意識し過ぎて、他者や自然から切り離してしまっているのでは?
という疑問が読了後に生じた。
ややネタバレになるが、この小説は高度な文明に全てが統一されることの不安感を直観的に感じさせる。
その点を考えると、ネイティブインディアンの血筋をひく人類学者でもあるマイケル・ドリスからの、悲痛な叫び声を内在した小説とも考えられる。