さこの日常日記

書くことは、……一見不可能なことをあえてするもので、その産物は、……書く人のめざし試みたものに即応することも、似ることもないのだが、その代わり、時として、あたためられた冬の窓に出来た氷花のように、きれいで、おもしろく、心を慰めることがある。

10/7

 完全昼夜逆転生活を直す生活に入っているが中々しんどい。

 

 朝・昼・晩にサラダもしくは野菜を食べてからご飯にすることに加えて、ご飯も野菜を多めに取れるものにしているため、先日の辛い風邪から体調自体はかなり回復したように思う。

 

 ネットで情報収集しては、眠くなったら外に行くを繰り返して昼寝を極力避けたが、2~3時間寝てしまった。

 

 体調が悪い時に動画を観ていたが、少し余裕が出てきてからは本を読んでいた。

 

 アウトプット、インプットという言葉があるが、僕の周りではアウトプットが出来る人が出来る人間という風潮があった。

 

 働くうえではアウトプットが出来ないとギャランティーに対する契約義務を不履行することになるので、アウトプットが出来なければ駄目なのは間違いない。

 

 しかし、アウトプットの質というものはインプットの量・質と相関しているように本を読んでいて思えた。

 

 本というのは作者のアウトプットであるが、如実にインプットの量・質が影響していることを感じる。

 

 仮に高い評価を得られるアウトプットを出せれたとしても、インプットを怠るとその後のアウトプットがそれ以上の評価を得られない可能性は高い。

 

 

 まぁ、そんなことをグダグダ考えている。

 

 

 兎にも角にもまずは安定して金もらえるようになりたい。

 

 

10/4 チンパンジーとアニメ

 何してたっけ。あまり記憶にないが本を合間合間に読んでた。

 

 はっきり覚えているのは「終物語」を鑑賞したことくらいか。

 

 なぜ、はっきり覚えているかというと内容の問題だろう。

 

 物語シリーズは主に高校生の日常を描いているんだが、高校生を取り巻く大人というのがクズとまではいかないが暴力的(悪意に満ちた?)言動を取ることが多い。

 

 高校生が大人に振り回されたり大人の事情によって、怪異に撮りつかれて一騒動あるのだ。

 

 

 「終物語」は始まったばかりではあるが、1~2話の時点で大人の悪意が剥き出しになっている。

 

 

 話がそれてしまうが、人間に最も近いと言われているチンパンジーは幼少期は人になつくが、大人になると明らかに攻撃性が増して他者を殺してしまうことがある。

 

 

 他の動物(ライオンとかタイガーとかグリズリー等々)は幼少期に慣れ親しんだ人物に対して襲うことはほぼないが、チンパンジーは容赦なく襲ってくるのだ。

 

 

 動物学に関しては全く勉強したことがないので素人の戯言に過ぎないが、人間もチンパンジーに似た暴力性の獲得はあるように感じる。

 

 

 全部見た上でしっかり考察することにしよう。

9/31 『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』 は良い人生勉強になる。

 

 

f:id:sakosako3123:20151001030349p:plain

 頭痛と腹痛が酷かったため、家をまともに出られず、かと言って作業も出来ない状態だったため、ひたすら寝っ転がってドラゴンクエストⅣのプレイ動画を観ていた。 

 

 繰り返すが、プレイはせずにプレイ動画を観ていた。

 

 プレイ動画しか観れてないのは不服極まりないが、FC版を今更やるのは難しいので仕方ないと諦めて最後まで観終えた。

 


FC版ドラゴンクエストⅣ プレイ動画一章part1 王宮の戦士たち - YouTube

 

 観終えての感想だが、タイトルにある通りに『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』は良い人生勉強になる。

 

 私は小さい頃からそんなにテレビゲームをする子ではなかったし、最近のRPGを含めたゲームは殆どしたことがない。私にとってゲーム=古典的ボードゲームなのだ。

 

 従って、以下に著すことは「〇〇というゲームにも当てはまるし、ドラクエⅣだけじゃない!!!」となりかねないが、単純にドラクエⅣを観ての感想でドラクエⅣと他作品を比較するつもりで書いている訳ではないのであしからず。

 

 

 ドラゴンクエストⅣは勇者が住んでいた村を魔物に襲われ、親友を含めた村民の中で自分だけが地下に隠させられたことにより生き残る。

 

 村は破壊されたため勇者は仕方なしに旅に出る。

 

 なので、別に魔物を倒すとかそういった気持ちは一切ない。よく分からないが旅に出る。ここの描写が全くないのだ。

 

 旅に出た途中で城に寄ると、流れで勇者を目指す者として認識されて旅を続行することになる。これ以降もどこの国の城でも勇者扱いではなくて、よく分からん魔物退治している若者という扱いをされるのが本作の勇者なのだ。

 

 単純に考えるとこの主人公は復讐心に燃えているにしても旅に目的はない。ただ、その後の出会う仲間「ミネア」に勇者として慕われて魔物退治の旅を何となくすることとなる。

 

 

 

 では勇者以外の勇者の仲間達はなぜ旅に出ているのか?そしてなぜ敢えて勇者と旅をしているのか?

 

 

 話はガラッと変わるが、ドラゴンクエストⅣは勇者の仲間達の勇者と出会うまでの話がある。

 

 というよりそれぞれのキャラが章立てされているのだ。

 

 つまり、

 

 第1章 王宮の戦士たち   (登場人物:ライアン)

 第2章 おてんば姫の冒険  (登場人物:アリーナ、クリフト、ブライ)

 第3章 武器屋トルネコ   (登場人物:トルネコ

 第4章 モンバーバラの姉妹 (登場人物:マーニャ、ミネア)

 第5章 導かれし者たち   (登場人物:勇者、今までの登場人物)

 

 という形になっている。

 

 第5章は終章なので魔王を倒すのが目的なっている訳だが、魔物退治とか全く関係ない章がある。

 

 極端に言うと、私利私欲で動いている仲間もいるのだ。

 

 なので、勇者と出会って旅を一緒にすることを許諾するときも魔物退治とか露程も考えていないのが多い。

 

 一つ例をあげると、マーニャという踊り子のキャラが勇者と仲間になることを決めた際の発言がこれだ。

 

マーニャ
 「ちょうど良かったわ!
  これからはこの人に養ってもらいましょ。」

 

 

 

 この例から分かるようにドラゴンクエストⅣの仲間の旅のモチベーションはかなり異なっており、勇者と何となく旅に出ているのだ。

 

 勇者も勇者で戦闘員として優秀かどうか判断せず仲間にあっさり入れているので笑える。

 

 もちろん、勇者との魔物退治にモチベーションが高い仲間もいる。しかし、非情ながらも戦闘能力が他のキャラと比べて高い訳ではないので、プレイする側=勇者は戦闘メンバーに彼・彼女等を組み入れることが出来ない。戦闘メンバーに組み入れると全滅してしまうのだ。

 

 ただ、そういう仲間でも能力が活用できる場がしっかりこの世界にはあるのだ。

 

 

 

 このような状態のチームであっても、誰一人離脱することなく魔物を退治してしまって伝説となってしまうのだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 いや、これは本当に凄い。

 

 

 まさに導かれし者たちだったのだ。

 

 

 

 

 ということで、上記の話から何が人生勉強になったかというと5点ある。

 

① 何かに固執する必要はない。面白そうだったら、大変かもしれないがそっちに方向  転換するのもありかもしれない。

② 人は何らかの形で活躍できる場が必ずある。

③ 仕事で得られるものは大きいし、仕事で得られる仲間は何だかんだで良いモノであ  る。

④ 活躍できるタイミングを見極めることは重要だ。

⑤ 世に生きる一人一人が導かれし者たちである。

 

 

 

 ➀に関しては、ドラゴンクエストⅣの仲間たちは勇者と旅をすることで現代でいうところの転職に近いモノをしている。

 

 はっきり言って、ドラゴンクエストⅣの旅は一部のキャラを除いて戦闘中に死ぬことが多い。もちろん蘇生してもらえる可能性はあるが死ぬのは苦痛に違いはない。

 

 しかも、花形である戦闘員になれたとしても他の仲間の加入や、大器晩成型の仲間のレベルアップによって能力値が抜かされて外されることがある。

 

 勇者は合理的な判断をせざるを得ないが、あぁ、なんと切ないんだ。

 

 それに関わらず、彼らは一人も抜けずに魔王戦が終わるまで全員で挑むのだ。

 

 それほど勇者や仲間が好きだし、魔物退治の旅が面白くなっているということだ。

 

 こういったことは現実でも充分起こり得るだろう。

 

 

 ②に関しては、①で少し出してしまっているが戦闘員を外されたメンバーであってもドラゴンクエストⅣはささやかながらも活躍できる場が提供されている。

 

 本人と周りの仲間が活躍できる場を認識さえしていれば人は案外長く活躍し続けることが可能なのだ。

 

 ③に関しては、勇者と仲間達は殆どがなんとなしに魔物退治の旅をしている。この何となしの魔物退治の旅が終盤まで続く。終盤になってようやく魔王退治という伝説となる仕事を任されるようになるのだ。

 

 

 ドラゴンクエストⅣはしょうもない人助けイベントが後々のイベントを展開するのに必要になることが多い。

 

 「この村を困らせている魔物を倒してください!」なんというイベントは殆ど転がっていないため、しょうもないイベントをこなしていくことで信頼たりうる人物になっていって、有益な情報を得ていくしかないのだ。

 

 これは多くの仕事でそうで、しょうもない仕事でも腐らずに頑張ることで意外に大きい仕事に数十年後にはつながる可能性は大いにあると思う。

 

 

 「仕事で得られる仲間は何だかんだで良いモノである」に関してだが、魔王を倒した後は勇者は仲間をそれぞれの故郷や家族の待つ場所に送る。

 

 仲間達はそれぞれの街で英雄扱いされ正に幸せの絶頂。

 

 

 その様子を見送りながら、勇者は一人、魔物に破壊された自分の故郷に帰る。

 

 魔王を倒したところで、自分の故郷の人が生き返る訳もなく、村が以前の姿を取り戻すことはない。

 

 という切ないシーンがある。

 

 

 そんな場面に何と冒険をした仲間全員が現れるのだ!!!

 

 

 まさに感動である。

 

 

 ということで、こういうこともあり得るので仕事で得られる仲間は何だかんだで良いモノであると思う。

 

 

 ④に関しては、ドラゴンクエストⅣは各キャラのレベルを99まで上げれるが魔王退治にはそこまでレベルを上げる必要がない。

 

 これで何が不都合が生じるかというと、大器晩成型の仲間は活躍できる場がない場合が出てしまうのだ。

 

 何とも勿体無い話であるが、やりこみプレーヤーを除いた大抵のプレーヤーは1秒でも速くクリアしたいので、そんなことを気にしている暇はないのだ。

 

 従って、大器晩成型の仲間は最高に活躍できる場ばかりを狙うのではなく、今ある能力で活躍できるタイミングを見極める必要がある。

 

 

 しょうもない活躍にしても、何もしないより本人にとってもチームにとっても有益ではあるのだ。

 

 

 ⑤に関しては、そんまま「世に生きる一人一人が導かれし者たちである」。

 

  出会いと縁を大切に。

 

 

 

 

 

 プレイをせずプレイ動画だけ見るという不届き者であるが、ドラゴンクエストⅣの魅力を伝えることが出来ていれば幸いである。

 

 

 

9/26

 寝る直前に胃の周辺が気持ち悪くなって悶えていたため、昼近くに起きる。

 

 体調不良が治ったので良しとしよう。

 

 運動不足を恐れるあまり、運動を少しきつめにしてくる。

 

 利便性から鴨川をジョグとダッシュするという運動しかしてないが、詰まらなすぎる。

 

 ただ、お姉さんが走っているのを見るとなぜか嬉しいのでそれだけでも走る甲斐がある。

 

 丸善に行って、本をパラパラ見て帰る。

 

 生姜焼きを自炊して、ドラクエのオーケストラを聞きつつブログを書く。

 

 本読んで寝よ。

 

 

 

9/25 (書評)萩尾望都「恐るべき子どもたち」

 本作はジャン・コクトー恐るべき子供たち」を原作にした萩尾望都による少女漫画である。

 

 ジャン・コクトーは詩人、そして「美女と野獣」の映画監督して有名だが、「恐るべき子供たち」は小説である。

 

恐るべき子供たち (岩波文庫)

恐るべき子供たち (岩波文庫)

 

 

 本作はコクトーの原作のストーリーを忠実に再現しているものであるが、コクトーの原作と大きく違う点が数点ある。

 

 主な登場人物は姉弟の姉エリザベート、弟ポール、ポールと高等中の同級生であるジェラール、姉エリザベートと同じ洋服屋でマネキンの仕事をしているアガートである。

 

 基本的にこの4人が姉弟の家で繰り広げる子どもたちの遊びが中心となり、本作もその点に違いはない。

 

 ただ1点目の違いとして、コクトーはジェラールの視点を基本に子どもたちの遊びを観ているが、萩尾望都は場面によって視点を置く人物を切り替えている。

 

 しかも、ジェラールの視点から描かれている場面は前半しかなく、後半ではジェラールは意志を持たない演者、つまり子供ではなくなっている。

 

 そのため、原作では詳細が描かれいてるエリザベートに対してジェラールが愛情を抱いているということは、本作をよほど意識していない限り気づかないものとなっている。

 

 

 二点目の違いは、姉弟の唯一の肉親である母親の病死があまりにも本作ではあっけないのだ。

 

 姉のエリザベートは母の死を引きずるシーンが原作では度々見られるが、本作ではほとんどない。

 

 アガートと同居すると決まったときに母の居た部屋に住ませることを許諾するシーンもエリザベートはあっけからんとしている。

 

 この捨てた部分は何を意味するのか。私はこの部分を捨てた行為によって尚一層子どもたちの恐ろしさを感じてしまう。

 

  

 三点目はポールの憧れの的であるダルジェロス(男)にあまりにアガートが似すぎているため、出会った瞬間から気になってしまっている点である。

 

 原作ではポールはアガートを愛していることに気づいてからアガートがダルジェロス

に似ていると気づく訳だが、本作は明らかに最初からポールはアガートが気になっている。

 

 これは少女漫画ゆえのものか、萩尾望都が意図的にした仕掛けか謎が残る。

 

 

 他に細かい点も含めれば原作との違いは何点かあげられるだろうが、書評は間違い探しする場でもないのでここでやめておく。

 

 

 

 小説と漫画の違いを考える機会でもあったため、自分なりに考えてみたが、小説はイメージを完全に読者に委任せざるを得ない。一方で漫画はある程度自分の見せたいイメージを読者に抱かせることが出来る。

 

 「恐るべき子どもたち」の場合、小説だと兄弟がいる人といない人とではイメージが異なってくる可能性が高い。

 

 しかし、萩尾望都の漫画は子どもたちの創り上げた世界のイメージをある程度共有させることに成功している。

 

 このイメージを共有させるために、萩尾望都は登場人物の視点を切り替えたり、一人一人の見えない関係性の強さ・深さを弱めることで客観性を高めている印象がある。

 

 

 漫画が良いか、小説が良いかなんというのは不毛な議論で、面白ければどちらでもよいじゃないかで済む話だと考えるが、作者が表現したいことを表現できる部分が両者で全く異なってくるのは読み手としても意識をする必要があると感じる良い機会であった。

 

恐るべき子どもたち (小学館文庫)

恐るべき子どもたち (小学館文庫)

 

 

 

9/24 諸々していた。漫画を読む。

 色々してたが、ほぼ記憶ない。

 

 不毛な一日だ。

 

 定食屋に飯を食いに行ったが、サークル様御一行で異常に混んでいた。

 

 金も払わず、挨拶もせず出て行った学生がいたが、どうやら奢ってもらうという形を取っていたらしく、店員がきょどきょどしていた。

 

 一言くらい店員に言伝しろよと傍から見て感じたので、気を付けよう。

 

 家に帰って、萩尾望都「恐るべき子どもたち」を読了。

 

 原作同様に読むのにエネルギーを使って疲れたので、書評は後日(出来れば明日)。

 

 

 

9/23 古本を買う。ついでにタワーレコードに久しぶりに行く。

 やるべきことも積読本も大量にあるが、新しい本を買いにbook off に行く。

 

 もちろん100円コーナーのみを漁る。大岡昇平の「レイテ戦記」が400円以上する古本しかないのが残念だった。

 

 意識しないと外国文学ばかり読んでしまうので、今回は意図的に日本文学を買った。

 

 

 幸田露伴五重塔

五重塔 (岩波文庫)

五重塔 (岩波文庫)

 

 

樋口一葉にごりえたけくらべ

にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)

にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)

 

 

アン・モロウ・リンドバーグ「海からの贈物」

 

海からの贈物 (新潮文庫)

海からの贈物 (新潮文庫)

 

 

 「海からの贈物」が一番気になるが、とりあえず読まなさそうな「五重塔」から読み始めることにしよう。

 

 その後、上の階にあるタワーレコードに行く。

 良いCDを見つけたが、1000円以上も払いたくなかったので購入せず。

 

 ついでに漫画専門店による。漫画もそこまで買おうと思わないタイプなのだが、コクトーの原作が良かったのもあって、萩尾望都「恐るべき子どもたち」を購入。

 

恐るべき子どもたち (小学館文庫)

恐るべき子どもたち (小学館文庫)

 

 

 家に帰って、自炊してラグビー見る。

 

 早稲田大学時代から応援している五郎丸歩選手がまさかここまで人気が出るとはね~

 と思いつつ観戦。

 

 結果、キックは外すし惨敗してしまって見てるこっちも非常に悔しかった。