さこの日常日記

書くことは、……一見不可能なことをあえてするもので、その産物は、……書く人のめざし試みたものに即応することも、似ることもないのだが、その代わり、時として、あたためられた冬の窓に出来た氷花のように、きれいで、おもしろく、心を慰めることがある。

浅草ロック座12月公演「LAST SCENE」鑑賞(2018年鑑賞納め)

今年の12月は私がストリップ鑑賞を始めた頃には既にトップ級の人気を誇っている踊り子さん2名の引退公演と特別な月となった。

 

一人はあすかみみさん、そしてもう一人は伊沢千夏さんだ。

 

どちらの方もポラ館ではラストを飾る踊り子さんで、ラストを飾るにふさわしい魅力を持たれている。

 

この記事では伊沢千夏さんの引退公演となる「LAST SCENE」の考察・個人的に考えたことを述べていく。あすかみみさんの関東最後の公演も観に行っているが、内容がほぼ私的なものにしかならないので割愛する。

 

まず出演者は下記の画像の通り。

 

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浅草ロック座の公演は或るテーマ(例えばグリム童話)があり、そのテーマに沿って演目内容が組まれるのが多く、ストーリー性や統一感といったものが全体を通してある。

 

だがLAST SCENEは全体を通す一つの柱が分かりにくく、各景が独立している印象を受ける。繋がりがなくバラバラなものは記憶に残りにくいが、感情を突き動かせる瞬間は何度もあるもののLAST SCENEは全体がぼやけて記憶に残っていないのだ。

 

正直に言って、一回目の鑑賞後には他人にこの公演の良さを伝えれる表現が出てこなかった。

 

記憶に残っていないからといって満足できなかった公演という訳ではないが、これまでの浅草ロック座の公演とは毛色が違う作品なので評価はかなり分かれる公演ではあるだろう。

 

LAST SCENEの各景は映画や文学作品を題材としている。

 

楽日過ぎてのブログ公開でネタばれしても支障ないかと思うので、各景について細かく書いていく。

 

➀ 早瀬ありすさん 題材:The Sound of Music

トップに相応しいさわやかな景だ。

曲は原作に使われている曲だろうか?原作が気になるところだ。

早瀬ありすさんがメインの景だが、全踊り子さんが出てくるため正に華やかな作品のオープニングといえる。

The Sound of Musicはミュージカル作品がベースで、子供達や少女が歌を通じて幸福感を伝えてくる作品だ。早瀬さんはアルプスの少女ハイジ、他の踊り子さん達はThe Sound of Musicの子供達、伊沢さんは恐らくマリア(修道女見習い)だろう。

 

早瀬ありすさんはロリに括られる特徴が多い方だが、今回のハイジにしてもそうだが単純にロリ的な良さがある部分だけを観るのは非常にもったいない。

 

ロリというとロリ作品から形成されるイメージが男性には強くある。自身がロリを体験している訳でもなく、ロリと深い仲になるのは現実的に困難なのでそれは致し方ない。

 

アルプスの少女ハイジは典型的ロリ少女だが、ハイジも人間関係で大人の社会のようなドライさに巻き込まれてそれを乗り越えていくことが必要となることは多々ある(魔女の宅急便のキキはまさにそうだ)。

 

子供であっても一人の女性であり、一人の人間なのだ。早瀬ありすさんはイメージとしてのロリを壊そうとロリ衣装に包んだ衣装から表現してくる。そしてベッドで脱ぐと完全にロリはなくなる。それでも偶にロリをアピールしてくるところが可愛らしい方だ。

 

そういうことを改めて思った景だった。

 

② 瀬能優さん 題材:ロミオとジュリエット

ロミオとジュリエットはバレエで何度も観ており、最初から悲劇としての印象が非常に強い作品だ。恋に落ちるシーンであっても悲劇的な要素が影を落としているので、観ていて非常に辛くなってくる。

 

このロミオとジュリエットは恋の切なさが全面的に出している。ロミオとジュリエットが心中するシーンで終わらず、恋に破れるようなことがあったとしても未来志向で生きようという瀬能さんの力強いダンスで終わる。徳永英明さんの「永遠の果てに」の歌詞がまさにそのことを歌っている。

 

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バレエは芸術作品としての意識を作り手が強く持っているため、悲劇は悲劇でしか表現し得ない美しさや芸術を表現してくることが多い(有名な作品である「瀕死の白鳥」は白鳥が迫りゆく死にあがきながらも徐々に弱っていき死んでしまうさまを表現した作品だ)。

 

バレエは観る人を前向きな気分や感動的な気分にさせるかというと、そういうことを狙っていないのでそういう気分になれることはほぼない。だが、凄いものを観たという印象は残る。

 

バレエのロミオとジュリエットを想像していたので私は拍子抜けに近いモノがあったが、LAST SCENEは或る作品のLAST SCENEが終わってもそこに続きはあるということを伝えたい作品なのではないかと2景から感じ始めた。

 

 ③ 藤咲茉莉花さん 題材:二人鷺娘

題材は恐らく日本舞踊の「鷺娘」のはず。

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私は日本舞踊がバレエと並ぶくらい好きなので、終始鳥肌が立っていた。

 

坂本龍一の「戦場のクリスマス」に合わせて二人の鷺娘(藤月さんと伊沢さん)が舞う。「戦場のクリスマス」そのものの美しいメロディーに悲劇的な切なさに合わせて二匹の鷺が舞う。

 

またバレエの話で恐縮だが、白鳥の湖は人間が白鳥になっている話で、愛を誓うことで人間に戻れそうであったのに裏切られ最後に死んでしまう(ハッピーエンドパターンもあるが…)。

 

どんなに人間に近い存在であっても動物が人間になることには何かしらの壁がある作品が多い(リトルマーメードとか)。

 

人間は異質なものを受け入れるのは怖いし、理解できない存在を拒否してしまうことは人種や国が違うだけでも発生するので、いわんや違う生き物だと尚更だろう。

 

鷺のことをどんなに愛している人がいて、その人と鷺が結ばれて人間としての生活を送れたとしても明るい未来は想像し難い。

 

 

でも一瞬だけでも幸せな時があるだけでは十分ではないだろうか?

仮にその幸せが消え去ってしまっても、また旅立てる強さをその幸せが与えてくれてい

るはずだ。

 

鷺の衣装を脱ぎ、一人の女性としての体を手に入れた藤咲茉莉花さん演じる鷺はそのような力強いメッセージを訴えかけてきているように感じた。

 

④ 牧野れいなさん 題材:銀河鉄道の夜

銀河鉄道の夜を読んでおらず本景の内容が理解できないのが勿体無いという気持ちで一杯になり、帰りに本屋で買ってしまった(冬休み中に読み終わりたい)。

 

童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇 (岩波文庫)

童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇 (岩波文庫)

 

 

※内容が薄くなってしまい申し訳ないですが、読み終わってから加筆修正します。

 

恐らく原作を忠実に再現しているであろうシーンから始まる。

牧野さん扮する全身が金の糸で覆われた少年?が語りながら舞台を不思議な動きで動きまわる。

 

「激しい動きしてんのに、よー息も切らさないナレーションしてはるわ…」というのが観ているときの率直な感想だったわけだが、実際のところ激しい動きをしながら感情や思考が動くときはあるので、忠実に再現しているということでは牧野さんの表現の追求に対する努力に感服している。

 

この景は原作が分からないので何をどう表現しようとしているのかが掴みきれていないが、原作は童話であり美しい想像の世界を牧野さんと赤西涼さんとで綺麗に創造しており、星空が本当に見えるような美しさがある作品だった。

 

 

⑤ 赤西涼さん 題材:もののけ姫

一度目も二度目ももののけ姫としての要素が良く分からなかった(申し訳ない)。

分からなかったというより、もののけ姫としては別物としての印象が強烈に残っている

という方が正確か。

 

強風の中、両足で地面を強くつかんで少女が仁王立ちしているところから始まる。

少女は強風の中で何かを強く見据えながら駆け回る。

 

そういう点ではもののけ姫ことサンもそういうシーンがあったなと思うが、赤西涼さんとサンは別なもののように私は思う。

 

サンは野生児ではあるが、人間との交流の中で人間らしさを獲得していくのが映画では印象的であった。サンの強さが表現されているシーンは人間との争いの中で描かれているが、赤西涼さんは野生児としての側面が強いサンの力強さを表現している訳ではないと思う。少女は何を強く見つめているのだろうか。

 

西涼さんは目力が強いのが特徴的で、サンの目から感情がほとばしる感じは赤西涼さんくらいしか近づくことは出来ないだろう。それに加えて、全身が一つの意志のような表現がサンに非常に近い。

 

この表現が生まれている要因は赤西涼さん自体の表現力に加え、強風が吹きすさぶ様子をバックダンサーの体を包む布のはためきによるものが大きい。

 

1回目に遠くからみたとき、白い布に包まれたものが動いたときに非常に驚いた。

それほど人間らしさを白い布と踊り子さん達が覆い隠しているのだ。

 

 

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ベッドのシーンになると、Bank Band の「to U」が流れる中で力強い少女と打って変わり柔らかい動きとなる。

 

西涼さんは好きな桜井さんの曲に酔いしれながら次第に溶け込んでいっているように思えた。
 

ベッドに入ると人間らしさが全面に出てきて、柔らかいまま森の中へと少女は戻っていくのだ。

 

 

⑥ 川菜ひかるさん 題材:We Will Rock You

 この景は現在大ヒット公開中の「Bohemian Rhapsody」に忠実に構成されている景なのだろう。

 

私は映画を観ていないが、韓国出張中に韓国人に物凄い勢いで勧められたので観に行こうかなと思っている矢先だった。

 

フレディ・マーキュリーは若くして亡くなっており、またマイノリティーとしての要素がある人ということは知っている。映画はその部分の苦悩が恐らく描かれているのか?

 

この景に関しては完全にエンターテインメントを追求した内容となっている。

 

川菜さんは「サラリーマン」という演目を2~3年前に観たことがあるが、典型的なエロさを持ち合わせた方という印象があった。

 

そのエロさと演目を噛み合わせた時の盛り上がりの破壊力は凄いだろうなと思っていたが、この演目は完璧に噛み合っており破壊力が凄かった。

 

これまでの景が内容が重めに来ている中で、ラストに向けて盛り上がるをつけていく景

だ。

 

 

⑦ 雨宮衣織さん 題材:フラガール

 

 フラガールも原作を観ていないため一部理解ができない部分がある。

確か東北のどこかの街おこし的なことでフラダンスをするという話だったような...

また予告での蒼井優さんの印象が強烈に残っている。

 

舞台上には折り鶴が飾られている。

そこにフラガール姿の雨宮さん・藤咲さん・伊沢さんが登場する。

 

折り鶴は平和への祈りや弔いの意味が込められているため、舞台上には何かしらの死や終わりが暗示されている。

 

純粋な白い衣装をまとい明るく踊っているが、それは何かの祈りのようにも思えた。

海は生命の誕生した場所であり、生命を無残に奪うものだ。

また、島国に住む日本人にとって海は誰かを隔だてるものでもある。

 

もう伝えられない思いは祈りや何かしらの表現で伝わることを信じるしかない。

 

フラダンスはそもそもが宗教的な意味合いが込められているため、踊り手が直接に伝えられない相手に思いを伝えるための手法でもあったはずだ。

 

この景では誰の何に対する祈りなのかは正確に分からないが、踊り子として残り続ける雨宮さんは舞台を去っていく伊沢さんに思いを伝えていたように感じた。

 

 

⑧ 香山蘭さん 題材:「独裁者」の一部 ”Chaplin Speech "The Great Dictator"

 

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Chaplin Speechは英語リスニング教材として大学院生の頃に初めて聞いた記憶がある。

最近では "Fight for Liberty" の部分がCMで使われていたような気がする。

 

初めてこの演説を聞いた時に、生きた戦争の残酷さと生きている人間が戦争をしていたということを突きつけられて衝撃に震えた。

 

香山蘭さんは「反戦歌」という演目を持っており、それを拝見したことがある。

反戦歌もこの景も主たるメッセージ性は似ているが、この景は原作が演説であり表情と

声色のみでの表現であるし、原作の偉大さが大きすぎるため香山さんは相当なプレッ

シャーがあったはずだ。

 

 私はどうしても原作のスピーチが先行しており何度もそれを観ているため、香山さんの作品というよりも原作に引っ張られてしまっている香山さんという印象だ。

 

 とは言っても、香山さんのステージを通して原作を観てみたいと思わせる躍動感や強さはあった景に思える。

 

⑨ 伊沢千夏さん 題材:La vie on rose

Edith Piafで最後を締めてきたのが、衝撃であり混乱を私の中で生んだ。

 

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7景、8景と打って変わり、フランスの華やかさを象徴とするEdith Piafをテーマとしている景だ。

 

(フランスの華やかさという分かりづらいかもしれないが、愛に華麗に死んでいくみたいなイメージだ。ドイツやロシアは愛に死ぬといっても影が落ちてくる。)

 

 

公演全体としての流れとしてEdith Piafを持ってくるのが予想外過ぎて、なぜこういう選択に至ったのか、そういう混乱の状態の中で1度目の鑑賞は終わった。

 

しかし、よく考えてみればこの華やかさが伊沢千夏さんなのだ。

この作品のような華やかさが伊沢千夏さんのLAST SCENEとして相応しいのだ。

 

ピンクに彩られた席に、薔薇のような華麗な花の衣装に包まれた伊沢さんが座っている。そのまわりを踊り子さん達が彩っていく。

 

そのような華やかさを損なうことなくベッドへと向かい、終わりまで行く。

華やかさは鼻に着く部分が出てきやすいが、伊沢さんの華やかさは憧れのような存在で

あり続けるというのが伊沢さんの凄さだ。

 

そして、一旦終わったかと思いきや羽衣のような衣装をまとい出てくる。

これまでの華やかさと変わり、落ち着いた笑顔を浮かべている。

 

そこで中島みゆきさんの「ヘッドライトテールライト」が流れてくる。

この流れも初見時には全く意味が分からず混乱する理由だった。

 

Edith Piaf からの「ヘッドライトテールライト」は繋がりが見えにくいのだ。

 

ただ、こういう風に解釈してみたらどうだろうか。

 

最後の和装で出来る伊沢さんはかぐや姫ではないのか。

 

かぐや姫は元々居た月に帰ってしまうが、踊り子としての伊沢さんも元々居た別の世界へと帰る。かぐや姫がどのような気持ちで月に帰ったかは原作から読み取ることが出来ないが、かぐや姫は月での人生が始まる。伊沢さんも踊り子としての人生を終えるが、新たな人生が始まる。

 

かぐや姫と同じように伊沢さんも誰からも愛される美しい存在だった。 

 

かぐや姫と考えるとあのシーンは納得が行く。

 

伊沢千夏さんの踊り子としてのLAST SCENEは一度幕をしめた時点で終わっている。

それでも別れを告げにもう一度、かぐや姫に扮して登場するのだ。

 

⑩ 銀河鉄道999

 

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まさにこの動画の内容といえるフィナーレだ。

 

どんな人とも我々は別れを告げる時が必ず来る。それは一つの終わりであるが、一つの

始まりでもある。別れは辛いものではあるが、メーテルもとい伊沢千夏さんの旅立ちを

後押ししていこうではないか。

 

そう思わせてくれる素晴らしいフィナーレだった。

 

 

2018年もストリップで生きる気力を湧かせてもらい、多くを学ばせてもらい非常に踊り子さんをはじめ劇場関係者に感謝してもしきれなかった。2019年も楽しみだ。