さこの日常日記

書くことは、……一見不可能なことをあえてするもので、その産物は、……書く人のめざし試みたものに即応することも、似ることもないのだが、その代わり、時として、あたためられた冬の窓に出来た氷花のように、きれいで、おもしろく、心を慰めることがある。

彼女たちはストリップで何を得るのか。

  芸術とは何だろうか。

 学術的な定義はあるのだろうが、多くの人は独自の、だけども他者と似通った定義をもって芸術と認識している作品を鑑賞しているはずだ。

 美術館にある作品を、なぜ芸術作品と疑わずに私たちは観れるのだろうか。それは各人独自の芸術の定義が共通する部分が多いからだろう。

 芸術は、美しさという概念を含む作品を対象する(芸術作品で美しくないものもある)。ただ、自然景観は美しいと感じるが芸術ではない。自然景観を描いた作品は芸術となるが、人間の手が加わったものでないと芸術と人間は認識しないようだ。

 

 芸術とは何か?という問いをなぜ出したのか。それは、ストリップというものがどういった作品として社会が捉えているか私自身が理解出来ていないからだ。私にとってストリップは、どのストリッパーの作品であっても芸術だ。しかし、少なくない人がストリップは性風俗産業であるという認識が強く、私ほどストリップにのめり込む人が殆どいない。そのような状況に対して不満を感じている訳ではない。しかし、どうしても気になるのだ。

 

 2017年11月24日、私はストリップ劇場「浅草ロック座」にストリップを観に行った。いつもの何となくストリップ観に行こうかなという気持ちではなく、今回は目的があった。それは、私は「ストリッパー図鑑」という同人作品を前日に販売したものの結果は燦燦たるもので、内容をもっと充実させたいという衝動、それと以前鑑賞して感動した作品を作っているストリッパーの方が多く出演しているためだ。そういった目的意識によって観賞中の集中力が高かったことが影響しているかもしれないが、この日の公演「Fantasia(藤月ちはる引退記念公演)」は誰もが芸術だと感じざるを得ないものであると私には思えたのだ。

 ストリップのレビューはtwitterに投稿することしかしてこなかったが、この貴重な経験をより正確な内容で共有したいため今回はブログでレビューをする。 

 

  最初に、公演の概要について説明する。

 

劇場:浅草ロック座

公演:Fantasia 1st season

出演者(出演順):清本玲奈、大見はるか、鈴香音色、藤月ちはる、沙羅、あすかみみ、伊沢千夏、女性バックダンサー4名

※公演の宣伝用ポスターを参照用に添付しておく

その他:平日の1回目だったため、混み合ってはいなかった。

 

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それでは、各ストリップ女優のレビューに入る。

 

➀清本玲奈

 公演名「Fantasia」はどういう意味なのだろうか。ディズニー映画のFantasiaをイメージしたものなんだろうか?公演名に加えて、公演用ポスターの赤いバレエシューズを履いた足元は何を意味するのだろうか。これらの疑問がこれから分かるというワクワク感で公演前から既に私は興奮していた(後でFatasiaの意味を調べた。幻想曲という意味である)。

 

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 劇場内が暗くなり興奮しつつも静まり返った瞬間、女性達の笑い声が聞こえてきた。その笑い声はとても楽しそうで、イメージとしては少女が無邪気に遊んでいるときの笑い声のようなものだった。何が幕の中では起こっているのだろう?そんな疑問が湧いたと同時に幕が開いた。

 一景(ロック座は一景、二景、三景・・・という出演順の数え方をする)は、デビューして1年くらいの若手である清本玲奈さんだ。笑顔を見るだけでも元気にさせてくれる溌剌とした女優さんだ。AVも性欲が高まるというより精神的に元気にしてくれるという感じで、生まれもってこういう人がいるのかと感心してしまう。

 本公演でも明るいイメージの内容だった。収穫祭を祝っているシーンで、喜び踊っている娘役だ。冒頭の笑い声は収穫祭の賑やかなものを表現するためのものだった訳だ。清本さんのショーに対して「あ~、アルプスの少女ハイジみたいや。」という感想が頭の中にこびりついてしまっているので、アルプスの少女ハイジを観てみれば分かるというのが本音のレビューだが、これでは不親切なので詳しく書いておこう。

 清本さんもハイジも、周りの皆が可愛がってあげたい存在という点で同じだと私は考える。両者とも人間らしい感情のどれもがとても可愛いらしいのだ。今回の娘役は喜び踊っているだけでなく、すねたり恋煩いのようなものをしているシーンがある。そして、ストリップなので性的刺激を与えるようなシーンも当然ある。喜び踊っているシーンくらいしか可愛らしいさは感じないのが大半だが、清本さんは性的刺激を与えるようなシーンも含めて全てが可愛いらしかった。

 可愛いらしいという感情を現実世界で与えることが出来る稀有な存在が本公演の清本玲奈さんだ。

 

 ②大見はるか

  明るい牧歌的なシーンから打って変わって、青いパジャマを着た少女だけが存在する夜のシーンへと切り替わった。青いパジャマを着た少女が大見はるかさんだ。

 少女は何かに思い悩んで寝れていないようだ。大見はるかさんはロリっぽくないので、少女といっても高校生くらいを想定してるんだろう。高校生くらいとなると恋煩いのようなものだろう。

 そのような思い悩んでいる状態から突然、ふっきれたように全裸になるのだ。これには非常に驚いた。ストリップは徐々に脱ぐ演出が基本で、全裸になるというのは少数だからだ。しかし、突然全裸になることで少女の世界が現実の世界から夢?意識?の世界へと切り替わる。

 全裸と着衣状態では、その人に対する印象が全くことなってくる。大見はるかさんの全裸への切り替えは、悩める少女から大見はるかさんその人へと印象が切り替わった。

全裸だろうが着衣している状態だろうが、大見はるかさんは大見はるかさんなんだが、全裸による他の何者でもない大見はるかさんが美しい演目だった。

 

 ③鈴香音色

  大見はるかさんで場内が静まり返った中で、鈴香音色さんの登場だ。初見の女優さんだったので、何をするのか全くイメージ出来ていなかった。結論から先に述べると、豊満な肉体とバーレスクをやっていることも影響してか、ディズニーのショーのような盛り上がる空間を創り出すことが得意な女優さんだ。

 シーンは2つあり、ハロウィーン的なお墓で大人数でワイワイするシーンとお転婆な感じな花嫁のシーンだ。

 前者はまさにディズニーのハロウィーンイベントでもありそうな演出だ。バーレスクを私は観たことがないが、踊りを主にした喜劇がバーレスクの定義のようなので、まさに喜劇だった。

 後者も基本的に喜劇的な雰囲気を漂わせるものだった。花嫁をテーマにすると祝福するようなメッセージを乗せることが容易なのかと思うが、鈴香さんの花嫁はエンターテインメント劇の出演者の1人としての花嫁だった。こういった花嫁が出る結婚式は絶対楽しいだろうなと感じざるを得ない花嫁で、観客をワクワクさせてくれる花嫁だった。

 

 ④藤月ちはる

  藤月ちはるさんは、ここ数か月気になっていた女優さんだった。なんで気になり始めたかは分からないが、容姿が好みなんだろう。今回の公演を観に来ているお客さんでこの藤月ちはるさんの引退公演を目的とした人がちらほらと見受けられた。とても愛されてきた女優さんなんだろう。

 さて演目についてだが、藤月ちはるさんは芸術であり、彼女しか生み出せない世界に居ることができ幸せだった、ということに尽きる。

 バレリーナとしての藤月ちはるさんが、舞台に置かれた鏡に向き合って登場する。赤いバレエシューズを履き、一般的な白いバレエ衣装を身にまとっている。鏡に向かって、どことなく自信なさげな姿の自分に対面するバレリーナ。自分がどう観えているかを過剰なほど気にしているのだ。

 ストリップに限らず舞台芸術では、観客に顔を見せる。ずっと背中ばかり見せられていても、観客は何を表現しているか理解できないからだろう。だが、藤月ちはるさんの演目はそれをぶち破る。演目の6割近くは観客に背を向け、鏡と向き合っているのだ。

 バレリーナはバレエ衣装を何度も着替える。その度に鏡と向き合う。時間や経験によって変化していく自分がどういう存在なのかを常に確認するかのように。

 最終的にバレリーナは鏡がない状態で観客と向き合って踊る。しかし、鏡がなくなるまでがとても長い。人は常に他者に見られているということはないが、自分という存在が常に自分を見ることは出来る。バレリーナは常に自分を見続けているのだ。これはとても苦しいことだろう。何度衣装を変えても、その自分に見られる苦しみがともなうのだ。この苦しさを、鏡がある時間で私も共有していた。

 鏡がなくなったのはなぜなのかは分からないが、鏡がなくなってからは見られているという意識が無くなったかのような踊りへと切り替わる。しかし、鏡がない時間はあっという間に終わってしまうのだ。そして、赤いバレエシューズを脱ぐことでバレリーナは幕から消えるのだ。

 この演目は私が観てきたストリップの演目で特殊なものだった。今後のストリップ通いで、このような演目を観れることは二度とないだろう。この演目は藤月ちはるというストリップ女優の全てであり、藤月ちはるさんにしか演じることが出来ないものだ。私は藤月ちはるさんと、この演目に出会えて、本当に嬉しい。

 

 ⑤沙羅

   10分程の休憩をはさんで、後半が始まった。藤月ちはるさんの演目で興奮したので疲れたのが影響したのか、沙羅さんの演目はあまり印象に残っていない。メモを見ても「白い」としか残っておらず、良いレビューが書けそうにない。沙羅さんに非常に申し訳ないので、次回お会いした時はしっかりしたレビューを書こう。

 

 ⑥あすかみみ

 さて、あすかみみさんだ。私はあすかみみさんのファンなので、一景で犬の着ぐるみを着ているのを瞬時に発見して、愛犬のふわと同じ格好が出来て、とても楽しいだろうなぁと妄想していた。 

 あすかみみさんは可愛らしい演目しか観たことがなく、あすかみみさんのtwitterの投稿も可愛らしい衣装に包まれていることが多いので、今回も可愛らしい演目が来るかと予想していた。

 しかし、ブラックスワンが出てきたのだ。衝撃過ぎて、あすかみみさんではないのでは?と演目が終わってからも疑っていたが、やはりあすかみみさんだった。ナタリーポートマンが出演していた「ブラックスワン」風の衣装をまとっていた。映画のブラックスワンは狂気の存在でホラー要素が全面に出ているが、あすかみみさんのブラックスワンは悪女というイメージだ。

 ブラックスワンにたぶらかされる男役として藤月ちはるさんが出てくる。宝塚の男役みたいなものなので、男の強引さを上手くかわすというよりは、女性が好みそうなたぶらかしをブラックスワンはする。ブラックスワンはバレエでは悪女の役なので、あすかみみさんのブラックスワンも悪女なわけだ。あすかみみさんはHIPHOPダンスが特技(AVのプロフィールによると)なため、HIPHOPの悪女!という感じの曲が使われており、ダンスもHIPHOPでも少し攻撃的な感じの振付にすることで、悪女を表現していた。

 先に述べたように可愛らしい演目のイメージしかなかったため、カルチャーショックに近いものを感じた。しかし、この演目は演目でとても良かったし今後も観たいと私は感じている。女優さん特有のキャラや雰囲気というものは勿論あって、あすかみみさんの場合は可愛らしいものが良く似合う。ただ、表現力が高ければどんなイメージでもこなせれるわけで、あすかみみさんは表現力が高いので悪女もとても良く似合うのだ。

 今後、どのようなあすかみみさんを見せてくれるのか。想像するだけでワクワクしてくる。

 

 ⑦伊沢千夏

 そして、いよいよラストである。伊沢千夏さんは大阪東洋ショーで初めて観た。その時もラストで、とにかくスゴイ人気だった。容姿や体型は人の好みが大きい要因なので私見は述べないが、好みな男性は多いようなタイプであろう。女優歴も長い方で、固定ファンも多い。どこの劇場に行っても、とにかくファンが多いのだ。

 六景がブラックスワンという流れで、七景は白鳥だった。現実の白鳥は体が大きく凶暴なところがあるが、バレエの白鳥は優雅なので、優雅な白鳥を伊沢千夏さんが演じていた。

 バレエの「白鳥の湖」はハッピーエンドとバッドエンドとがある。ハッピーエンドでは王子と魔法で白鳥に変身させられていた姫の魔法が解け、結ばれるという展開である。結婚を祝うときに使われる曲が使われていたので、本公演Fantasiaもハッピーエンドで終わる訳だ。

  では一体なにがハッピーエンドなのだろうか?これは藤月ちはるさんのストリップ女優としての人生がハッピーエンドということだろう。伊沢千夏さんの演目であったが、本公演は全て藤月ちはるさんに捧げられている。

 ロック座は一つのテーマを設定して、それを元に各女優の演目が決まっているショーである。各女優のオリジナル作品をしていく劇場が多い中で、ロック座のストリップショーはそこに強みがあるといえる。

 伊沢千夏さんが目的でロック座に観に来た人であっても、藤月ちはるさんのための舞台に感動できるように作ってあるのだ。もちろん伊沢千夏さんの美しさは充分に引き出された上での話ではある。

 

 

 ストリップは女性器や胸を見せるシーンがある以上、性風俗産業に属するというのは仕方がないことだ。女性器や胸を見せることを求めているお客さんがいるからビジネスが成り立っていることもあり、ストリップはグレーゾーンであり続けるだろう。

 そういったレッドゾーンにいつなるか分からない状況にあって、ストリップ女優はAV女優や演劇女優では出来ない、ストリップでしか表現し得ないものを模索していると私は思う。そういった目標がないと、お金のためだけでは長く続けるには過酷な仕事だ。

 私は安全地帯で生活に将来的に困らない収入を過酷ではない仕事で得ている状況であまり不満は無い生活を送っている。そこに私しかなしえない目標は存在していない。だからだろうか。自分しか生み出せないものを生み出している女優さんに、美しさや芸術性を感じてしまう。

 今回のFantasia公演は、藤月ちはるというストリップ女優の美しさと芸術的なストリップ女優としての人生を表現し得たものであると私は疑わない。