9/19 (書評) フランツ・カフカ(前田敬作 訳)「城」
フランツ・カフカの代表作品といえば「変身」であり、本屋でしばしば売っているのを見かけるので多くの人がカフカの名前は見聞きしたことがあろう。
「変身」は善良な市民であり実直な労働者であるグレゴリー・ザムザが、ある朝見るも恐ろしい虫になってしまい、最終的にザムザが支えてきた家族に見殺しにされるという小説だ。
「変身」はホラー要素が強い幻想小説のように一見して思える。ストーリーはテレビ番組「世にも奇妙な物語」にでも出てきそうな話だからだ。
だがカフカは「変身」で不気味な幻想小説を書きたかっただけではないと私は思う。
カフカ作品の最大の特徴は、主人公が理由も何も知らされないまま周囲の人達に除者として排除される点(処刑されたり変身のように見殺しにされたり etc.)にある。
何の理由か分からずに恐ろしい虫になってしまい、人間に戻る方法も分からず、何も抵抗することが出来ず家族に見殺しにされてしまう「変身」もその特徴を有している。
今回書評として取り上げる「城」も正にその特徴を有している。
先ずは「城」のストーリを確認しよう。
主人公Kは測量師として、或る村に仕事を依頼されて村にやってくる。
Kは或る村に腰を据えて生活をするつもりでやってきていたが、村に到着するや否や測量師など依頼した事実はないと城の役人に告げられる。
その場で役人を通して仕事を依頼した城に事実確認した結果、Kは測量師として正式に依頼されており村に滞在することを許される。
これで測量師として村で生活できる…はずであったが城から仕事依頼は来ない。
Kは依頼主の城から仕事をもらうために、城に行こうとするが城に辿りつくことすら出来ない。
城の役人と交渉や話をするためには膨大な時間と手続きが必要だが、Kは住む場所も金も持たないため、そんな手間をかけていられない。
速く仕事にありつきたいKは、城に勤務している役人と仕事上の付き合いがある人達に近づくことで城との接点を持とうとする。
だが、Kの目論見はことごとく失敗する。
失敗するだけならまだしも、正体不明の助手をつけられたり、宿屋の居酒屋で働く女性と同棲する羽目になったり、村長に翻弄されて学校の小間使いにされたりする。
Kは何度か役人と直接交渉する機会を強引に作り出そうとするが、その行為も状況を悪くする一方である。
どんなKが悲惨な状況にあっても、城は永遠に職についていない異邦人であるKに永遠に門を開こうとしないのだ。
小説「城」は城がKに対して永遠に門を開くことはないという事実を突きつけた状態で終わる。
つまり、カフカ作品の特徴である主人公が理由も何も知らされないまま周囲の人達に除者として排除されたまま(この場合は職にありつけない)で終わるのだ。
「城」は起承転結があるストーリー展開をしていない。その上、 この小説は未完の作品である。
予想される結末は
➀「変身」や「審判」のように主人公がなぜ殺される羽目になったのか分からないまま殺されるように、Kは村から出て行くことになる。
②Kは村のルールに従い何とか測量師としての職業にありつく。
ではないかと私は思うが、結末がなくとも「城」は次のような現代人の姿を描き出している。
現代人が世界に存在するためには、
(1)物質的な存在である自己の肉体に対する実感。
(2)ある社会に所属しているという実感。
この2点が必要である。
(1)を感じていないということは、つまり死んでいることなので説明は不要だろう。
問題となるのは(2)である。
ある社会に所属しているという実感を得るためには、所属していることを数値化するという意味で或る集団に所属していることが重要となる。 例えば社会人であれば会社、学生であれば学校等である。
現代人は所属先がなくなることに物凄い恐怖感を抱く。それはなぜか?
無所属というのは非存在であるからだ。
非存在になることを避けるために、どんな嫌なことがあろうと現代人は或る集団に所属し続けようとする(所属する集団は変わるかもしれないが...)。
非存在に在る人間は、集団からの保護(労働の対価として給与を受け取る etc.)を受けれないことに加え、社会的な繋がりがかなり切られてしまうため少数派としての苦しみが待っている。
では、或る集団に所属するためには何が必要なのだろうか?
それは或る集団のルールや価値観に従うことである。
或る集団のルールや価値観は無駄に思えるものもあれば、差別的なものもあったりするが、或る集団に所属するためには掟や価値観に従わなければならない。
企業や役所で働いている人の多くは、納得が行かなくても集団が求める掟や価値観に従って仕事をしたことがある経験をお持ちだと思う。
ここで話のスケールが大きくなるが、現代人が生きる世界は労働者として世界を回す歯車として働く価値観を我々に強いる。
したがって、好むと好まざると、このような世界に生まれてしまった以上は働かないと非存在になってしまう。
「城」のKは世界にとって非存在にならないために測量師の仕事を求めている訳だが、或る集団(子の場合は村)の価値観や掟を知らないがために仕事の求め方で多くの過ちを犯して自分の状況を悪くしてしまっている。
Kは合理的に考えて価値観や掟が無駄なものと判断しているため、そのような掟破りの行動を犯し続けているが、このことが或る集団に所属しようとする場合にはかなり不味い結果を生み出しているのだ。
この「城」のKの行動の結果から我々は何を学べるのだろうか?
1つは世界にとって非存在にならないために我々は働かざるを得ないという価値観を消せないということ。
2つは働くために所属しなければならない集団にも掟や価値観があり、それらに従わないと働けないということ。
この2点であろう。
1つめに関して、私が考えた分かり易い例が次のようなものだ。
・一生働かずとも余裕で食べていけるほどのお金を持っているのであれば、生きる上で働く必要は全くない。しかし、金持ちの多くは働いている。ただし、金持ちで働かずに遊んで過ごしている人もいる。金持ちで働かずに遊んでいる人は悪いことをしている訳ではないのに、彼・彼女らは世間的にあまり良い印象を抱かれてはいない。
2つめに関しては、集団に所属して働かせてもらっている以上は、個性を殺して集団のために働かざるを得ない場合があるということである。
現代に生きる我々は個性を大切にという価値観を持ちつつも、働かざるを得ないという価値観も同時に持ち合わせているため、個性を大切にしたい欲求と個性を消す行為でもある労働との衝突で苦しまざるを得ない。
この苦しみに対して、一旦社会から離れるという行為(ヒッピーは間違いないが、今はバックパッカーとかワーホリとかもこの種の行為なんだろうか?)をする人もいれば、労働者として欠かせない人物になることで個性を出そうという人もいる。
私自身は働き始めたばかりで正直どのような形でこの苦しみに対処したら良いか分からないでいるが、働くことに喜びがほぼ見出せていないので定時に帰るのが当たり前の国に転職できるように仕事のスキルと英語だけは毎日勉強している状況である。
何が正解ということはカフカはどの作品でも示していないが、現代を認識する上でカフカの作品は有用であるのは間違いないだろう。
- 作者: フランツ・カフカ,Franz Kafka,前田敬作
- 出版社/メーカー: 新潮社
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