さこの日常日記

書くことは、……一見不可能なことをあえてするもので、その産物は、……書く人のめざし試みたものに即応することも、似ることもないのだが、その代わり、時として、あたためられた冬の窓に出来た氷花のように、きれいで、おもしろく、心を慰めることがある。

11/17 (書評) ジェームズ・M・バリー(大久保寛 訳)「ピーター・パンとウェンディ」

 私は児童文学を読むのが好きだ。好きゆえに丁寧に読み込むために、読み終わるのに時間がかかる。そして、読んで感じることを言語化するのが難しいため書評は避けているが、今回は敢えて挑戦する。

 

 書評として選んだのはディズニーのアニメ映画で世界的に有名である「ピーター・パン」の原作である「ピーター・パンとウェンディ」である。

 

 

 

ピーター・パンとウェンディ(新潮文庫)

ピーター・パンとウェンディ(新潮文庫)

 

 

 

 映画「ピーター・パン」は1953年上映の古い作品であるが、幅広い世代に観られている作品である。ストーリー自体は覚えていないにしても、ネバーランドという島でのピター・パンと子供達の冒険が描かれている作品という記憶はあるはずである。私も映画「ピーター・パン」を観ているはずであるが、キャラクターの印象は色濃く残っているが内容は全く覚えていない。

 

 ディズニーの「ピーター・パン」が好きであっても、原作である「ピーター・パンとウェンディ」を読んだことがある人は案外少ないのでは、と翻訳者のあとがきにある。私は児童文学作品を本屋に行く度に眺めているため、それなりに知識はあると思っていたが、ピーター・パンに原作があったのかと驚いたので、実感として翻訳者の推測は正しいと思う。

 

 ということで、私と同じピーター・パンの原作について全く知識がない人のために、私が重要と思うピーター・パンの原作に関する説明を一点だけする。

 

 「ピーター・パンとウェンディ―」の作者であるジェームズ・M・バリーは童話作家が主な仕事ではなく劇作家としての仕事を主にしており、ピーター・パンという少年は劇作で初登場している。「ピーター・パンとウェンディ―」は児童文学として執筆された作品であるが、劇作として作られた「ピーター・パンーーすなわち、大人になりたがらない少年」の内容が含まれている。劇作の部分は大人向けに作られた作品であるため、原作は子供向けという訳ではないのだ。

 

 「ピーター・パン」は冒険作品で、アイロニーや残虐性は少ないという印象があるかもしれないが、「ピーター・パンとウェンディ」は異様なまでに生々しくネバーランドの住民同士が殺し合う。例えば、ピーター・パンとフック船長の戦いは喧嘩のようにアニメでは見えるが、フック船長はピーター・パンに対して殺意を明確に抱いているし、ピーター・パンはフック船長を殺すことに何の罪悪感もないのだ。また、これは意外かもしれないが、妖精であるティンカー・ベルは事あるごとにウェンディを殺そうとする。しかし、ネバーランドの住民達は誰かが殺されても、または殺されかけても翌日には何事もなかったかのように以前のような付き合いを続ける。ピーター・パンに至ってはもっと情け知らずで、誰を殺したのかさえ覚えていないのだ。

 

 住民同士の殺し合い以外にも冷酷無比な冒険が毎日ネバーランドでは繰り返される。穏やかに過ごせる日が無いと断言しても良い場所であるため、一見したら地獄のように思えるネバーランドは子供達の楽園というよりも、子供という「陽気さ・無邪気さ・情け知らず」人間が、永遠にそういった存在としても生活し続けることが出来る場所である。したがって、ネバーランドでは子供であり続けることが出来る。

 

 ネバーランドは子供であり続ける場所であるというからには、母親や父親といった子供に干渉し得る存在はネバーランドには存在しない。それもそのはず、ネバーランドは親から見捨てられた子供が連れてこられる場所であるからだ(ピーター・パンもそういった子供の一人である)。愛する両親がいるウェンディ―と兄弟は、ピーターパンに騙されたような形でネバーランドに来ているが、直ぐにネバーランドの住民として生活に溶け込む。ウェンディ―と兄弟も子供である以上、子供であり続けることが可能なネバーランドを離れる理由がないのだ。しかし、ある契機でウェンディ―と兄弟はロンドンで待つ両親の元に帰りたいという欲求が出る。そして、直ぐにロンドンの自宅に帰ってしまう。

 

 しかし、ピーター・パンだけはネバーランドに残り続けるのだ。本作は劇作である「ピーター・パンーーすなわち、大人になりたがらない少年」の内容を含んでいると前述したが、ピーター・パンは、ウェンディの両親から親になってあげるという提案に対して、拒否することで大人になることを拒絶したのだ。

 

 ウェンディ―と兄弟は両親という存在に対する「情け」を知り、そのためネバーランドからロンドンの自宅に帰り、大人になることを受け入れた。その結果、「陽気さ・無邪気さ・情け知らず」を失い、つまらない大人になってしまう。一方で、ピーター・パンは永遠の子供としてネバーランドで生き続ける。一見してピーター・パンが幸福のように思えるが、かつての冒険仲間である子供達がつまらない大人になるという悲劇を味わうこととなる。

 

 子供であり続けるのが難しい世の中であるからこそ、自身の子供時代も今を生きている子供も美しいと思えるのかも知れない、