さこの日常日記

書くことは、……一見不可能なことをあえてするもので、その産物は、……書く人のめざし試みたものに即応することも、似ることもないのだが、その代わり、時として、あたためられた冬の窓に出来た氷花のように、きれいで、おもしろく、心を慰めることがある。

8月9日

日本の四季には行事等に合わせたイメージがある。

 

今は夏だから、祭り、花火、お盆、そして海水浴といったところが一般的な行事だろうか。お盆は関係がない人にしてみれば長期休暇だし、お盆が常に暗いイメージという人は殆どいないだろう。

 

暑いのや人ごみが極端に嫌いな人にしてみれば嫌な季節だろうが、夏は楽しめるイベントが多い季節だ(日照時間も長いので夜遊びもつい長くなる)。

 

夏は人間が他の季節よりも生きていることが感じれる季節だと私は思う。

電子機器のおかげで日常で人とコミュニケーションすることのリアルさをあまり感じる必要がない状態なので、家に籠っていると本当に人間がこの世にいるのかと思うことがある中で、夏は強制的に人間が生きてることを感じさせる。

 

生やリアルに対する不足感が仕事を中心とした日常生活では出てくるので、何かと人がざわついている夏は好きだ。

 

(冬にロシア旅行した時、マイナス20℃でも大量に人が街中でうろついていたのに驚いたが、日本だとマイナス20℃だと殆ど人はうろついてないだろう。)

 

こういう感覚は子どもの頃からあった。私は夏だ!皆で騒ごう!みたいなことは苦手なタイプなので、ひと夏の思い出みたいなのを作るほど充実した夏は経験したことはないのだけれども。

 

それと同時に夏は死を意識している。

お盆は死者のための行事なのでまさにそうだ。長崎はお墓で花火したり精霊流しの時は街中で爆竹を投げまくる状態なので、お盆がド派手で意識せざるを得なかったりする。私は記憶がある限りではお盆に直接関わったことが今までないけども、世の中には死者というものがいるのだという認識は持たされている。

 

それに加えて長崎は8月9日は登校日で、平和学習と11時2分に黙祷をすることとなっている。私は原爆の影響を受けた親族がいないし、長崎県以外で9日がどんな日なのかとは知る由もなかったので特別な感情というものは持っていなかった。今年も9日が来たんだな、というくらいの認識だった。

 

高校生になってからは原爆で被災した高校に通っていたのもあって、9日に被災者の方が高校まで来て慰霊をしていたのを見る機会があった。また、平和活動?を学校以外でしている学生もいたので、身近なものに感じれるようになった。とは言っても、9日は平和のことを考えるのが当たり前だったので、特別な感情はなかった。

 

人の死を考えるということは身近な人が亡くならない限りはないので、9日に平和学習をしても関係が無い人にしてみれば重苦しさのようなものはない。ただ、長崎を離れてみて思うのは何かしらの痕跡が自分の中に残っていることだ。

 

9日からお盆にかけて長崎では死者を弔うような報道が多いので、雰囲気的に夏を全力で楽しもう感が他の都道府県よりは弱い感じがするし(広島は長崎と似ているでしょうが)、少なくとも9日は何でもない日なのが一般的なのに気づいたのはここ数年だ。

 

9日からお盆は死者のことや平和な現在の状態を考えるのが当たり前になっていたので、話題にすらのぼらないのがとても衝撃を受けている。身近に長崎の人がいないのでそういう感覚を共有するのも難しいので、原爆に関する小説を読み始めて一人モヤモヤした気持ちを抱えている。

 

何でもない日が平和であることの証だ。私はもう9日が何でもない日という認識には戻れないので、モヤモヤ感は消せることはない。それが長崎県の教育の狙いだったのかも

しれないと思うと、上手くやったなと思う。

 

このモヤモヤ感を少しでも和らげるには、少しでも多くの人に原爆で死者が出ていることを認識してもらうしかないのだろう。

 

同じ場所で同じように生きていた人間が無差別に殺されたということに対する感情を私は忘れずに生きていきたい。