さこの日常日記

書くことは、……一見不可能なことをあえてするもので、その産物は、……書く人のめざし試みたものに即応することも、似ることもないのだが、その代わり、時として、あたためられた冬の窓に出来た氷花のように、きれいで、おもしろく、心を慰めることがある。

10/24 ドラゴンクエストⅤにおけるフローラとビアンカ、どちらを天空の花嫁として選ぶかに関する考察

 今回のブログでは、ドラゴンクエストⅤにおけるフローラとビアンカ、どちらを天空の花嫁として選ぶかに関する考察をすることで、結婚という行為について考えてみたいと思う。

 

 

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 表題の考察に入るための基本的な「天空の花嫁を選ぶこと」についての説明から入る。

 

 ドラゴンクエストⅤにおいて主人公は、亡き父の遺言で行方不明になっている母が魔界という主人公がいる世界とは別世界にいることを知らされる。

 

 魔界に行けるのは天空の勇者だけであり、天空の勇者が魔界に行くには天空の武具を装備する必要がある。

 

 亡き父は天空の剣を持っていたが天空の剣を装備出来ず、主人公も父と同様に装備出来ないため、主人公は天空の勇者を探すと同時に天空の武具を集める旅に出ている。

 

 旅を続けているうちに主人公は、天空の武具の一つである天空の盾を大富豪が持っているという情報を得て、大富豪の元へ訪れる。

 

 大富豪は娘のフローラの結婚相手を募集しており、フローラと結婚すると天空の盾を手に入れることが可能であるため、主人公はフローラと結婚したい意志を大富豪に伝える。

 

 しかし、フローラの結婚相手に立候補した者は既に数人いたため、大富豪は結婚相手として満たすべき条件を伝える。

 

 その条件は2つの指輪を手に入れ、結婚指輪としてフローラにプレゼントすることであった。

 

 2つの指輪はいずれも命をかける必要がある場所にあるため、主人公は大冒険に出る。

 

 指輪の一つは場所もある程度分かっていたため、主人公は苦労はするものの比較的容易に手に入れることが出来た。

 

 しかし、残る一つの指輪はどこにあるか検討もつかないため主人公は大富豪から借りた船で冒険を続ける。

 

 冒険を続ける中で、幼馴染であるビアンカに偶然にも再会を果たす。

 

 父を亡くし、母とも会えることが叶わない状況にある主人公にとって、幸せであった幼少時の幼馴染に再会できたことは、旅を続けてきた中でも最上に幸せな出来事にあったに違いない。

 

 主人公は、フローラと結婚するために指輪を探す旅に出ていることをフローラに伝えるも、出発する直前にビアンカの父からビアンカと結婚することを遠回しに懇願される。

 

 主人公がフローラと結婚したいのは母親に会うために天空の武具が欲しいからであり、恋愛結婚とは程遠い気持ちである。

 

 一方でビアンカは幼少の頃からの親友であり、大人になり再会しても幼少の頃と変わらずに付き合うことが出来る関係である。

 

 主人公の心情は分からないが、何か心に重しがかかったような状態であったはずである。

 

 主人公のそのような状態を知ってから知らぬか、ビアンカは主人公との指輪探しの旅に一緒についてくる。

 

 その時のビアンカのセリフは次の通りだ。

 

ビアンカ「ねえ……。食べながらでいいから聞いてくれる?

     きのう あれから考えたんだけどね。

     水のリングを探すの 私も手伝ってあげるわ!

     だって(主人公)には幸せになってほしいもんね。いいでしょ?」

 

 

 ゲームの設定上、ビアンカの誘いを拒否すると指輪を探す旅を続けられないが、主人公としては、このように頼まれたら拒否しようがなかったはずであろう。

 

 

 ビアンカと共に無事に残りの指輪を手に入れ、主人公はビアンカと一緒に大富豪のもとへと指輪を渡しに行く。

 

 大富豪のもとまでビアンカがついてきているのは、指輪が別の物でないか確認するためであったからだろう。

 

 

 これでめでたくフローラと結婚する話が進む訳だが、フローラが主人公に同行しているビアンカの主人公に対する愛情に感づき、フローラとビアンカのどちらと結婚したいのか主人公に選択をせがむ。

 

 

 長くなったが、これが「天空の花嫁を選ぶこと」ということである。

 

 

 

 ここまで読んでこられた方はどちらを選ぶだろうか。

 

 ビアンカは幼馴染でもあり、主人公に対して深い愛情を明らかに抱いていることが分かる。

 

 一方でフローラは、母親に会うために必要な天空の武具を持つ大富豪の娘であり、結婚をする意志を相手に伝えているという事実がある。

 

 

 ゲームのプレイヤーは、幼少期のビアンカと主人公のパーティでストーリーを進行しているためビアンカに対する思い入れが強い。従って、ビアンカ天空の花嫁として選ぶプレーヤーが事実として多い。

 

 ゲーム作成者側もビアンカに対する思い入れが強いためか、ビアンカを花嫁にしても天空の武具は入手することが出来るため、どちらを選んでもクリア出来る。

 

 

 しかし、その事実をゲームの中の主人公は知る由もない。

 

 

  ビアンカを選んでもフローラを選んでも主人公はスッキリ結婚生活に入ることは不可能である訳だが、主人公は何を重視して人生を歩むかを考えて「天空の花嫁」を選択しないと命とりになる。

 

  

 ビアンカを選んだ場合、下手をすると天空の武具は一生手に入らない可能性がある。加えて、下世話な話になるが、ビアンカは裕福な家庭ではないため旅を自分の思うようにし続けることが出来ない可能性が出てくる。

 

 ただし、ビアンカの自分の向けられる愛情に対しても、自分のビアンカに対する愛情にも嘘をつく必要がない。お互いに愛し合える幸福は全ての人が手に入れられるものではないため、非常に尊いものだ。

 

 一方、フローラを選んだ場合、天空の武具は確実に手に入り、大富豪の娘ということを活かして旅を自由にかつ有利に続けることが出来る。

 ただし、フローラの場合は自分の都合で結婚しているため、ビアンカを選ばない理由として自分の都合が受け入れきれるかどうかに不安が残る。

 

  

 ビアンカであれフローラであれ、母親がいるとされる魔界に行ける勇者を探し出せる保障はない。

 

 

 従って「天空の花嫁選び」で決定的に重要になるのは、人生をどのように過ごしたいかと考えているかである。

 

 

 主人公は明らかに天空の武具・勇者探しを使命として捉えているため、フローラを選ぶのが合理的である。

 

 しかし、フローラとの結婚生活を続けれるかに不安が残る。

 

 理由は二つある。

 

 一つは先述した、ビアンカを選ばない理由として自分の都合によるフローラとの結婚が受け入れきれるかどうかに不安が残るという点である。

 

 二つは主人公の過酷な旅にフローラが耐えられるか未知数な点である。

 

 二つめに関して、フローラは結婚するまで主人公と冒険をしない。一方でビアンカは主人公と冒険をする機会が多くあったため、主人公との過酷な旅に耐えられると予想できる。

 

 フローラとの結婚は将来の不安要素が多いのだ。

 

 一方でビアンカの場合は天空の武具が下手したら手に入らないという可能性があるが、それ以外の不安は殆どない。

 

 

 不安な点に加えて、フローラの場合は主人公と結婚できなくても別の候補がいるという事実がある。

 

 フローラは実際、主人公と結婚できなくても別の相手と無事に結婚している。

 

 一方のビアンカは主人公と結婚出来ないと、ビアンカの親に対して引け目が生じる。

 

 

 合理的に主人公が動けるのであればフローラを選ぶであろうが、父親の意志をついで母親を探す旅をしている勇者は情にとても深い人物であるはずで、ビアンカを選ばないことは心理的な負担が計り知れないほど大きくなるとも考えられる。

 

 

 フローラとの結婚によって母親探しの旅が成功したとしても、主人公としての人生は強い悔いが残ってしまうかもしれない。

 

 

 従って主人公は何が自分にとって重要なのかを考えて、結婚という行為に踏み出す必要があるのだ。

 

 

 ドラゴンクエストⅤにおける天空の花嫁選びの主人公が求められるものから、結婚という行為は本質的には自己本位で動くべきものであると私は考える。

 

 ドラゴンクエストⅤの主人公はビアンカと再会してさえいなければ、迷うことなくフローラと結婚していたと考えられるし、ビアンカとフローラのどちらかを選ばなければいけない状況も、先に結婚を申し込んでいたフローラの立場を考えると避けるように動けていたはずである。

 

 主人公は最後まで結婚という行為を自己本位で執り行うように動いている。しかし、それで良いのだ。

 

 結婚後の生活も主人公は主人公のために旅を続ける。その旅に「天空の花嫁」は賛同する形で参加する。

 

 仮に嫁が旅をするなと言い、その言葉に従うと主人公は人生をどう生きていけばいいのか分からなくなる。

 

 程度の差があるにしても、働く男性の多くが主人公と同じような状況になるであろう(働く女性の場合もしかり)。

 

 自己本位を完全になくして相手本位で動く場合、主人公は旅をするなといわれた場合、やめざるを得ない。

 

 結婚という行為で暗黙に相手本位でこれからの人生を歩むというのを宣言してしまっているからだ。

 

 結婚という行為は相手と人生を共にするにあたり契約内容をはっきりさせる儀式であり、そこで相手本位の契約内容にしてしまうと自分の人生というものがあやふやな物となり、最悪自己が失われる。

 

 

 ドラゴンクエストⅤの主人公は母親探しの旅と自分の生涯をひっくるめて結婚相手を考えて、自分本位で結婚という行為をすることで母親探しの旅も人生も本人が納得がいく形で終わらせることが出来ている。

 

 

 ドラゴンクエストⅤのスーパーファミコン版のキャッチコピーは「愛がある、冒険がある、人生がある」であり、それぞれを繋げずに書いてあるのはプレーヤーに対して、何をどう重視して生きていくかを考えさせるためであったからだと私は考える。

 

 

 最後になったが、男女ともにお互いが独立した人格として、自分の人生のために結婚という行為が出来ることを祈る。