さこの日常日記

書くことは、……一見不可能なことをあえてするもので、その産物は、……書く人のめざし試みたものに即応することも、似ることもないのだが、その代わり、時として、あたためられた冬の窓に出来た氷花のように、きれいで、おもしろく、心を慰めることがある。

9/25 (書評)萩尾望都「恐るべき子どもたち」

 本作はジャン・コクトー恐るべき子供たち」を原作にした萩尾望都による少女漫画である。

 

 ジャン・コクトーは詩人、そして「美女と野獣」の映画監督して有名だが、「恐るべき子供たち」は小説である。

 

恐るべき子供たち (岩波文庫)

恐るべき子供たち (岩波文庫)

 

 

 本作はコクトーの原作のストーリーを忠実に再現しているものであるが、コクトーの原作と大きく違う点が数点ある。

 

 主な登場人物は姉弟の姉エリザベート、弟ポール、ポールと高等中の同級生であるジェラール、姉エリザベートと同じ洋服屋でマネキンの仕事をしているアガートである。

 

 基本的にこの4人が姉弟の家で繰り広げる子どもたちの遊びが中心となり、本作もその点に違いはない。

 

 ただ1点目の違いとして、コクトーはジェラールの視点を基本に子どもたちの遊びを観ているが、萩尾望都は場面によって視点を置く人物を切り替えている。

 

 しかも、ジェラールの視点から描かれている場面は前半しかなく、後半ではジェラールは意志を持たない演者、つまり子供ではなくなっている。

 

 そのため、原作では詳細が描かれいてるエリザベートに対してジェラールが愛情を抱いているということは、本作をよほど意識していない限り気づかないものとなっている。

 

 

 二点目の違いは、姉弟の唯一の肉親である母親の病死があまりにも本作ではあっけないのだ。

 

 姉のエリザベートは母の死を引きずるシーンが原作では度々見られるが、本作ではほとんどない。

 

 アガートと同居すると決まったときに母の居た部屋に住ませることを許諾するシーンもエリザベートはあっけからんとしている。

 

 この捨てた部分は何を意味するのか。私はこの部分を捨てた行為によって尚一層子どもたちの恐ろしさを感じてしまう。

 

  

 三点目はポールの憧れの的であるダルジェロス(男)にあまりにアガートが似すぎているため、出会った瞬間から気になってしまっている点である。

 

 原作ではポールはアガートを愛していることに気づいてからアガートがダルジェロス

に似ていると気づく訳だが、本作は明らかに最初からポールはアガートが気になっている。

 

 これは少女漫画ゆえのものか、萩尾望都が意図的にした仕掛けか謎が残る。

 

 

 他に細かい点も含めれば原作との違いは何点かあげられるだろうが、書評は間違い探しする場でもないのでここでやめておく。

 

 

 

 小説と漫画の違いを考える機会でもあったため、自分なりに考えてみたが、小説はイメージを完全に読者に委任せざるを得ない。一方で漫画はある程度自分の見せたいイメージを読者に抱かせることが出来る。

 

 「恐るべき子どもたち」の場合、小説だと兄弟がいる人といない人とではイメージが異なってくる可能性が高い。

 

 しかし、萩尾望都の漫画は子どもたちの創り上げた世界のイメージをある程度共有させることに成功している。

 

 このイメージを共有させるために、萩尾望都は登場人物の視点を切り替えたり、一人一人の見えない関係性の強さ・深さを弱めることで客観性を高めている印象がある。

 

 

 漫画が良いか、小説が良いかなんというのは不毛な議論で、面白ければどちらでもよいじゃないかで済む話だと考えるが、作者が表現したいことを表現できる部分が両者で全く異なってくるのは読み手としても意識をする必要があると感じる良い機会であった。

 

恐るべき子どもたち (小学館文庫)

恐るべき子どもたち (小学館文庫)